乳になにかあった(1)世界しこり発見!
子供のころ、ミステリーハンターのお姉さんに憧れていた。
正確には今もだ。34歳だけど。
楽しそうだよね、私も世界の不思議を発見してお茶の間に明るくクエスチョンしてみたい。
ヒィタァチィ~!Inspire the Next!のCMも大好きだ。
プラズマクラスターでがんも消し去ってくれたらいいのに
いや、プラズマクラスターはシャープだった。ふふ。
しこりを見つけた日曜の夜は泣いた。
どういう感情で涙がでてくるのかわからないまま一人で沢山泣いてしまって、翌朝は浮腫んで酷い顔だった。
私のザ・日本人!という様相のアーモンドアイな二重がパンパンに腫れて重たかったので、冷凍庫の保冷剤で冷やしながらメイクをして仕事に備えた。
当社比何倍か可愛くなくて萎える。
Google検索で最寄りの乳腺クリニックを検索し、受診の予定を組む。
最初の検査の結果をもって夫に話そうと思っていた。
しかし動揺していたせいか少しのことで夫にきつくあたってしまい、
それを謝った流れで打ち明けた。
その場で夫にしこりを触ってもらった。
現実をはやく受けとめなければと思って、実感がほしかった。
「怖いよね」と「大丈夫」、「まだわからない」をたくさん繰り返してくれた。
いつも優しいが、こんな時も例外なく優しい夫だ。
左胸のしこりは、なぜ今まで気づかなかったか非常に疑問なほど、意識してしまえばとても存在感があった。今思えば20ミリ以上だったのでもう初期ではない。
見つけた時は恐ろしくなり、右も左も隅々触って確かめた。
右にも違和感があったが、筋肉にも思えた。
ーまさか両方か…?いや、わからん、病院行こう。
この時、私のふわふわおっぱいは過去のものになった。
諸々の予定から、しこりに気づいてから乳腺クリニックを受診するまで中2日空いた。
その間Google検索で、しこりには良性と悪性とあること、乳がん以外の可能性もあること、乳がんには種類(サブタイプ)があることなどを知る。
種類によって治療法が異なるとのこと
母はどんな治療を耐え抜いたんだろう?
コロナ渦で私が実家に帰れなかったことや、母自身も心配させまいとしていたことなどあり、
ステージⅢBだったことも、寛解してから私が問わないと教えてくれなかった母だ。
どんなに頑張ってくれたか、詳しくは知らない。
先輩の話を聞くべき日もくるかもしれないとぼんやり考えた第一の感想は
「めんどくさいなー」
だった。
母はとっても過干渉で、若かった私はとても苦しかった。
田舎は高知県で、当初関西の大学に行こうとしていて早々に京都の大学にも合格していたが、もっともっともっと物理的に離れたくて大学から上京してきた。離れれば優しくなれた。今は良い距離感だと思っている。
この後待ち受けているであろう検査も治療も家族や周辺の人たちへの影響も、すべてがめんどくさいと感じた。
今思えば状況を受け止めた第一歩のようだ。
目の前のことを一つ一つこなしていかねばと思った証拠だろう。
いや、でもなーーーーー
マンモグラフィーって痛いんでしょう?
やだなーーーーーーーーーーーーーーーーやだやだ
そして検査。マンモグラフィー、痛かったです。